ブカレスト大学日本研究センター開設記念講演
「日本・ルーマニア外交関係:歴史と展望」
平成22年8月25日
雨宮 夏雄
駐ルーマニア特命全権大使
(はじめに)
フネリウ教育・研究・青年・スポーツ大臣、
プンザールブカレスト大学学長
ご列席の皆様、
日本大使の雨宮です。本日はブカレスト大学日本研究センター開所式の晴れがましい席でお話さていただくことを、日本政府代表としてのみならず私個人としても大変嬉しく光栄に感じており、本センター実現に努力された全ての関係者に対し、心からの敬意と感謝を申し上げたいと思います。
先ず誰よりも、ブカレスト大学プンザール学長、歴代学長の方々をはじめ、ブカレスト大学関係者の方々に感謝申し上げます。特に、プンザール学長にはルーマニアにおける日本語教育及び日本文化活動の重要性につき日頃より深いご理解をお示しいただき、日本研究センター実現への最善の環境を準備して下さいました。日・ルーマニア関係及びルーマニアにおける日本語及び日本研究への新たな道を開かれたプンザール学長のご洞察及びご指導に心からの敬意を表します。
ブカレスト大学全ての日本関係の教育者及び研究者の皆様の、これまでのご努力及び本センター実現に向けたご尽力にも心からの敬意を表します。ルーマニアでは、1989年の体制転換以前まで、ブカレスト大学を含む2校以外での日本語教育はほとんど行われていなかった旨承知しています。このような厳しい時代環境の中、多くの先生方のこれまでのご努力によりブカレスト大学における日本語教育は、諸制約の中大きな成果を上げ、日本研究センター実現への礎を築いて来られました。ブカレスト大学はルーマニアにおける教育及び研究の中心的大学です。今後本大学が本日開設された日本研究センターの活動を通じ、ルーマニアにおける多様な日本研究の発展にますます大きな役割を担うものと期待しております。
実はブカレスト大学に以前より日本研究センター設立の構想があることは、昨秋以来フォクシェネアーヌ准教授、パシュカ講師をはじめ、日本語学科の先生方達からお聞きしておりました。日本語教育のこれまでの成果をさらに大きく膨らませることを念頭に、現実の諸条件を見極めつつ、徐々に対象分野を拡大し、国内外との研究交流を推進していく計画とのお話を先生方からお伺いし、私共としても是非本構想実現のお手伝いをさせて頂きたいと当初より考えておりました。先生方の用意周到なるご準備に重ねて敬意を表します。
更に当国における日本語教育及び日本研究等への様々な教育、研究活動に対し、長年に亘る支援を行って来られたルーマニア政府教育省、また日本の国際交流基金及び東京財団にも日本政府を代表しお礼を申し上げます。ルーマニアにおける日本語教育は、30年以上の歴史を有するものの、共産主義体制時代、1989年の革命及びその後の20年に亘る民主化・市場経済化移行期のプロセスの中で、様々な試練に見舞われてきたものと思いますが、日本語教育の火が途絶えることなく今日まで灯され続けてきたその背景に、これら両国関係機関の長年に亘るご支援があったことは申すまでもありません。
(良好な日本・ルーマニア関係)
さて、ご列席の皆様、
本日のこの記念すべき日に際しまして、日本・ルーマニア間の外交関係の歴史を改めて簡単に振り返っておくことは有意義なことと思います。
日本・ルーマニア間の外交的関係は、両国において数千年に亘り流れてきた歴史から見れば比較的新しく、その出発点は1902年に遡ります。当時ウィーンに駐在していた日本の牧野特命全権公使が、やはり同時期ウィーンに駐在していたルーマニアのギカ特命全権公使に、外交関係の樹立を希望する書簡を送ったのがその始まりでした。
1902年(日本の年号では明治35年)といえば日本にとっては日ロ戦争を2年後に控え、初の列強との同盟となる日英同盟を締結した年であり、ようやく国際社会における地位を確保したという自信に満ちた年でありました。他方ルーマニアは1881年オスマン帝国の支配を脱し、カロル一世によるルーマニア王国が樹立されてからおよそ20年が経過した時期で、行政、交通、軍備の面での近代化を推し進めつつある最中の年であったと思います。実はそれから9年後の1911年、日露戦争を勝利に導いた英雄乃木将軍が、英国国王ジョージ5世の戴冠式に出席したその途次ルーマニアを訪問、カロル一世及び王妃エリザベタに謁見しています。
世界史の上で「帝国主義の時代」と呼ばれるこの時期、欧州は列強の複雑な同盟・対立を繰り広げていたわけですが、日本がルーマニアからの回答に接したのは、牧野公使書簡から15年後の、ルーマニアが連合国側として第一次大戦に参戦した翌年のことでありました。1917年、大戦は連合国側の勝利を以て終結し、戦勝国のルーマニアはハプスブルグ帝国支配下のトランシルヴァニア、ブコヴィナ、バナト、それにロシア帝国のもとにあったバッサラビアの領有に成功し領土を2.5倍に拡大しましたが、この年に東京における公使館開設を決定し、その旨日本に回答を寄せてきたのでした。
しかし、実際の公館開設までにはそれからなお4、5年の歳月を要します。1921年に入りルーマニア特命全権公使が東京に着任、翌1922年日本国特命全権公使がブカレストに着任し、ようやく両国の外交関係が開かれました。
両国の公使館開設は、国際社会が第一次大戦の教訓から史上初の国際平和機構である国際連盟を創設(1920年)した翌年、翌々年のこととなりますが、世界は第一次大戦で解決できなかった根深い対立に覆われ、1920年代末の世界大恐慌および1930年代末の第二次大戦を控え、国際連盟からの脱退・除名も相次ぐ厳しい時期でもありました。
第二次大戦開戦後も両国の外交関係は継続されていたわけですが、ルーマニアが戦争終結を戦勝国側の一員として迎えようとする前年の1944年3月、ソ連軍がバッサラビアからルーマニア国境を越えて進軍しルーマニアをソ連軍占領下におさめた時点で、日本とルーマニアの外交関係は中断を余儀なくされました。
両国の外交関係が再開されるのはそれから15年後の1959年に至ってからのこととなります。1947年、ルーマニアは王政を廃止し人民共和国となり、ソ連型の社会主義政策が進められ、5カ年計画による集団化、工業化が推し進められました。しかし1953年スターリンが死去するとバルカン半島にも「非スターリン化」の波が押し寄せ、ルーマニアは自国からのソ連軍の撤退を成し遂げました。日本との外交関係再開を決定した1959年は、ルーマニアが行動の自由を拡大させ1960年半ばに始まるチャウシェスク氏の「民族社会主義」の時代に連なる開放、発展の時期にあったと思います。
他方1959年の日本は、第二次大戦敗戦後14年が経過した時期にあり、敗北による荒廃や混乱も朝鮮戦争特需などにより回復し、1955年から1973年までのいわゆる日本の「高度経済成長」期の最中にありました。既に1956年には国連加盟により国際社会への復帰を果たしており、1960年代のオリンピック開催などを経て、ルーマニアとの外交関係再開後10年を経ずして日本は資本主義国中GNP第2位に達するに至ります。
外交関係再開15年後の1974年、ルーマニアは大統領制を導入し国家評議会議長であり元首であったチャウシェスク氏が初代大統領に就任しましたが、その翌年エレナ夫人と共に国賓として日本に招かれ、昭和天皇・皇后両陛下とご会見され、また当時の三木武夫総理との首脳会談を行い両国関係の順調な発展と将来における一層の関係拡大を確認しています。また4年後の1979年には当時皇太子・皇太子妃であった今上天皇・皇后陛下がルーマニアを訪れています。
両国の外交関係樹立、再開は、それぞれが置かれた国内外情勢の制約と変化の中で、新たな外交的展開を求める企図のもとで合意・締結されてきたわけですが、両国は一貫して良好な関係にありました。
さてご列席の皆様、
昨年2009年は日本・ルーマニア外交関係再開50周年記念として、「日本・ドナウ交流年2009」および「日本・ルーマニア交流年」を両国で同時に祝し、多くの観客を動員し数多くの文化イベントがとり行われました。 日本からは,秋篠宮同妃両殿下がバセスク大統領の招待により,ルーマニアを御訪問され,大変な歓迎を受けられましたが、これら両殿下の御訪問をはじめとする各種記念行事は外交関係再開後50年に及ぶ両国の友好関係を再認識し、将来へ向けての新たな協力関係を展望する絶好の機会となりました。
両国間の要人往来も引き続き活発に行われてきました。
ルーマニアからは1990年当時のイリエスク大統領以降、今年3月のバセスク大統領まで歴代5人の大統領、1人の首相および3人の外相が日本を公式訪問しています。
日本からは、1995年常陸宮・同妃殿下の御訪問があったほか、2002年には清子内親王殿下が「日本・ルーマニア交流100周年」記念の皇室代表としてルーマニアを御訪問されました。更に2007年には日本の外相として24年ぶりに麻生外相(当時)がルーマニアを訪問し、本年7月には経団連の大型ミッションがルーマニアを訪問しバセスク大統領等と両国経済関係発展につき会談を行いました。
また日本政府はルーマニアに対する様々な支援を行って参りましたが,その歴史も40年を有するに至っています。
日本留学のための日本の国費留学制度や外務省及び国際交流基金による各種招へい制度は,1989年のルーマニア革命から遡ること20年ほど前から始まっています。これら諸制度により多くのルーマニア人が日本の優れた教育を受け,帰国後ルーマニア国内の様々な分野で活躍しています。特に国際交流基金の日本語支援事業は,日本語教育専門家の派遣,教材支援,教師及び成績優秀者等の訪日研修等現場のニーズにあった複合的支援を長年に亘り行ってきており,本日開設となった日本研究センター実現への土壌を育ててきた点で特筆すべきものと思います。
ODA事業では1989年革命以来の,ルーマニアの民主化,市場経済化支援のため,インフラ整備,産業育成,環境,文化等の分野において,円借款,無償資金協力,技術協力,海外青年協力隊事業などの支援を行って参りましたが,これら支援がルーマニア政府及び国民から高い評価と感謝を以て迎えられたことは、私共の大きな喜びであり,誇りです。
(新たな協力関係へ向けて)
さて、ご列席の皆様、
ルーマニアは2007年EUの一員となりました。人口約2,200万人のルーマニアの欧州議会および欧州理事会における議員数および票数は加盟27カ国中7番目の大きさであり、また中東・中近東および黒海周辺国・地域、さらに中央アジアに近接するという地政学的重要性から、ルーマニアのEUに対する発言力および国際政治における重要性は、ますます大きなものになりつつあります。
特にEUの一員としての欧州安全保障、カスピ海から欧州をつなぐエネルギー回廊建設および黒海経済協力機構(BSEC)等を通じた同周辺国・地域における安定と発展のためのイニシアティブなど、ルーマニアは世界の平和と発展へ向け積極的貢献を果たそうとしています。
他方、日本では去る6月菅直人政権が誕生し、国内の行財政および社会保障制度の一体的改革の見直しを行うとともに、外交政策として、日米同盟の維持、核軍縮・不拡散、アジア諸国との連携、EPA・FTA推進、気候変動および環境問題等の分野における国際貢献を基本方針として発表しました。核軍縮・核不拡散については、この夏広島および長崎における原爆犠牲者慰霊・平和祈念式典に藩基文(パン・ギムン)国連事務総長を初め多くの各国公式代表が参列したところですが、日本は唯一の被爆国として、国連および関係国との連携を通じ「核兵器のない世界」実現へ向けリーダーシップの一翼を担うことを最重要政策の一つとして位置付けています。
こうした国際環境にあって、今やルーマニアは日本にとっての重要なパートナーであることはいうまでもありません。第一に、伝統的に友好関係を維持してきたルーマニアは日本にとって引き続き経済および文化分野で相互協力、交流を推進すべき重要な国です。第二に、ルーマニアは日本がEUとの間で政治・経済等諸分野における関係強化を進めようとする際の有力な支援国であり、第三に、日本とルーマニアは共に民主主義及び市場経済を基本的価値として共有する国際社会の一員として、平和、環境、人権等の諸問題に共に取り組む重要な協力国なのです。
(日本研究センター設立の意義)
さて、ご列席の皆様、
最初の外交上の接触から108年、外交関係再開から50年経過した日本・ルーマニア関係は、伝統的に極めて良好な関係を維持し今日に至ったわけですが、これをより深化させ互いの理解の幅を広げようとする試み、つまり本日、ブカレスト大学日本研究センターが開設され活動が開始されるということは真に意義深いものと思います。
先ず何よりも重要な点は,大学などの研究・教育の場で各々の文化・社会について研究・教育することが真の相互理解と新たな協力関係の礎となるということです。人々はいずれも生まれ育った国や地域の歴史と風土を背負った文化的存在です。互いの文化的アイデンティティーに対する理解と敬意なくして豊かな相互理解は不可能です。
因みに日本は「ロシア・東欧研究」の長い伝統を有しルーマニアはその一環で扱われています。「ロシア・東欧研究」については多くの主要大学で講座が開設されているほか、「ロシア・東欧学会」など複数の学会で研究発表や学会誌の定期発行が行われています。他方、EU拡大など最近における欧州政治・経済の新たな変化、発展に応じ、ルーマニアを含む東欧研究がEU研究の中で扱われるケースが増加していることは申すまでもありません。
日本研究センター開設の第二の意義は、将来の日本・ルーマニア関係の一層の発展を担う人材の養成および発掘に資する点です。ルーマニアには大学から離れてなお日本に関心を持ち続け、一人でこつこつ日本文学を研究・翻訳されている方もおられます。大学の在籍学生のみならず、日本研究センターがこうした市井の研究者・翻訳者等にも門戸を開き研究成果発表等の機会を与えることができれば素晴らしいと思います。
日本研究センター開設の第三の意義は、ルーマニアが欧州における日本研究ネットワークに参加する道を開く出発点となることです。現在、世界には約7,000人の日本研究者がいると言われています。地域・国別では米国が最も多く2005年時点でおよそ184の大学等に1,650人。これに次ぐのは欧州各国および10年ほど前から研究者が増大しつつある中国となります。
欧州における日本研究の特徴の一つは、日本以外で世界一の規模を誇る日本学の組織、欧州日本研究協会(EAJS)を有していることです。会員数は欧州各国からおよそ1,100名。各国持ち回りで定期的に学会を開催するほか、汎ヨーロッパの研究支援活動を行うなど大きな実績を上げてきています。この度の日本研究センター開設を機に、ブカレスト大学がルーマニア国内における日本研究の推進役になるにとどまらず、これら欧州引いては日本、米国など他地域との研究交流の推進役を果たすべく発展されることを期待申し上げます。
(おわりに)
さて、ご列席の皆様、
21世紀ももはや10年が経過しました。振り返れば20世紀は、新たな価値と希望の創出の世紀であり、同時に科学技術の爆発的発展と戦争の世紀でもありました。大きな希望を持って迎えられた21世紀も、2001年の9.11米国中枢部同時多発テロ発生という暗い幕開けとなりました。
しかし実は、10年の歳月を経て今世紀における一つの変化あるいは特徴が見えてきたように思います。現代は人類史上初めて多くの国がおおよそ同じような倫理的基盤を以て向き合っているという事実です。世界は多くの地球的規模の課題に直面していますが、今後は人と人との共感と相互尊重を基本に、問題解決へ向けての対話と協力の新たな手法を創造し、互いに手を取り同じ道を歩いていくことが求められています。
日本人とルーマニア人は古くから詩を吟ずる心、自然を愛でる心、感性を重んじる国民性等多くの共通点を有しています。本日めでたく開設されました日本研究センターの活動を通じ、両国の相互の理解、協力が一層進展し、共に平和で豊かな世界の実現に貢献できることを祈念しております。ブカレスト大学日本研究センターの発足に改めてお祝い申し上げます。ありがとうございました。
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