在ルーマニア日本国大使館
Embassy of Japan in Romania

ルーマニア情報(観光)

オペラ・演劇

オーケストラ、室内楽団によるコンサートやオペラ、オペレッタ、バレエは10月から4月頃のシーズン中それぞれの専門劇場で催されています。日曜日にはオペラ及びコンサートのマチネがあります。曲目はクラシックを中心にしていますが、ルーマニアの現代作曲家達の作品を紹介することもあり興味深いものがあります。オペラはレパートリーが広くルーマニア作品の他、イタリア歌劇などの公演もあります。オペレッタもルーマニアの作品の他、シュトラウス、レハール、カルマンなどの作品や英米のミュージカルも上演しています。主要劇場・演奏会場の住所、電話番号は次の通りです。

 □ 国立劇場(TEATRUL NATIONAL   

住所:B-dul. N. Balcescu 2    ☎:314-7171     http://tnb.kappa.ro/

インターコンチネンタルホテルに隣接しており、シーズン中にはルーマニア及び外国の演劇を上演しています。

□ アテネ音楽堂(ATENEUL ROMAN 

住所:Str.Franklin 1  ☎:315-6875   http://www.fge.org.ro/ateneul-roman.html

国立ジョルジェ・エネスクフィルハーモーニーの使用するコンサートホール。1888年に建設され、1898年には、ルーマニアの有名な作曲家である、ジョルジェ・エネスクがこのホールでデビューコンサートをしました。

□ 国立オペラ劇場(OPERA ROMANA             

住所:B-dul Kogalniceanu 70-72  ☎:314-6980   http://www.operanb.ro/ro/

オペラ、バレエを中心にシーズン中は毎晩上演しています。

□ 国立オペレッタ劇場                                 

住所:B-dul. N.Balcescu 2   ☎:314-1187   

旧国立オペレッタ劇場は取り壊されて、国立劇場小ホールに間借りをしており、有名軽歌劇を上演しています。

□ ラジオ局コンサートホール(Sala Radio)

住所:Str.Borthelot 60-64    ☎:314- 7770

ブカレスト・ラジオ局付属のコンサートホール。クラシック音楽を中心とした公演があります。

□ Sala Palatului

住所Str. Ion Campineanu 28  ☎:315- 7372      http://www.salapalatului.ro/

革命広場近くにある国立美術館の裏側にある、ブカレスト最大のホールを持つ劇場。


美術館・博物館

□ 国立美術館 Muzeul de Arta al Romaniei  

住所:Calea Victoriei 49-53    11001900 (5~9月)10001800 (10~4月)   月曜・火曜休館

89年革命の舞台となった革命広場に位置する美術館で、革命時には外部内部ともかなりの損傷を受けました。2000年5月より西洋絵画部門が再開され、ヴェラスケス、エル・グレコ、ルーベンス、レンブラントといった巨匠達の作品や、モネ、シズレーといった19世紀印象派の画家達の作品を見ることができます。テオドール・アマン、ニコラエ・グレゴレスク、シュテファン・ルキアンなどのルーマニアを代表する画家達の作品も所蔵されています。

□ コレクション美術館 Muzeul Colectiilor de Arta) 

住所:Calea Victoriei 111   11001900 (5~9月)10001800 (10~4月)   木曜・金曜休館

1978年に17名の美術収集家のコレクションを集めて開館した美術館。ルーマニアの近代画家グレゴリスク、アンドレスク、ルキアン、ペトラシュク、パラディ等の作品の他、仏・独・伊・オランダ等西欧の絵画小品、東洋の各種美術工芸品等を収めています。

□ ルーマニア歴史博物館 (Muzeul de Istorie a Romaniei

住所:Calea Victoriei 12    900-1700 月曜・火曜休館

旧市街にあるネオクラシック・スタイルの建物。展示物は60万点にものぼり、古代ダキア人の宝飾物や武器など、遺跡からの発掘品が多い。見所はローマにあるトライアヌスの円柱のレプリカで、単に美術史的な重要さにとどまらず、ルーマニア人のルーツを示す貴重な文献ともなっています。

□ 農村博物館 (Muzeul Satului

住所:Sos.Kiseleff 28-30    900-1700 (月曜日)  900-1900 (火~土曜日)

ルーマニア各地方の民家、教会、水車など約300棟を一度解体してブカレストに運び、組み立てて展示している野外博物館。 家の内部にも地方色豊かな家具、食器、民芸美術品が飾ってあります。見学で見逃せない建物は、1875年ゴルジェ建築様式で建てられたチェアウル(Ceauru)の家、1820年代オアシュ(Oas)地方の典型的な家、モセイニ(Moseini)の家、1727年に建てられたマラムレシュ地方(Maramures)ドラゴミレシュティ(Doragomiresti)の見事な木造教会等。売店で民芸品等のお土産を扱っています。

□ 軍事博物館(Muzeul Militar National

住所:Str.Mircea Vulcanescu 125-127    900-17:00 月曜日休館

ルーマニアの古代史からの展示がされているほか、1989年の革命当時の展示室も設置されています。屋外には、戦車や戦闘機などの展示もされています。

 農民博物館Museul Taranului Roman

住所Sos. Keseleff 3      10:00-18:00 月曜日休館

ルーマニアの民族衣装などの展示がある。

□ 現代美術館(Museul National de Arta Contemporara

住所Str. Izvor 2-4, Wing E4      10:00-18:00  月曜日・火曜日休館

ルーマニア唯一の国立現代美術館。議会宮殿内にある。 入り口はCalea 13 Septembrie通り側にある。


   名所案内(ブカレスト市内)

□ 革命広場 (Piata Revolutiei

19891221日、チャウシェスク大統領が共産党本部バルコニーで演説途中、この広場に集められた市民の罵声を浴び、翌22日に屋上からヘリコプターで脱出したシーンは世界中に放映されました。市民側に立ったルーマニア国軍と旧秘密警察(セクリターテ)の戦いが最も激しかったのはこの一帯です。

この広場を取り囲んで建っているのが旧ルーマニア共産党本部、旧共和国宮殿、大学図書館、アテネ音楽堂、ヒルトン・ホテルです。旧共産党本部は現在上院の議場となっています。

   □ 大学広場 Piata Universitatii

インターコンチネンタルホテルの前の広場。革命時にはここで最初の犠牲者が出ました。現在は明るく、革命時の痕を残すものはほとんどありませんが、犠牲者の慰霊塔である、十字架がいまも立てられています。

議会宮殿 Palatul Parlamentului 開館時間10:00-16:00  311-3611

見学はガイドツアーのみ。英語有。 予約をしたほうが確実。

 チャウシェスク大統領が権力を誇示するため巨額の費用と膨大な労働力を投入し1983年に着工したもので、地域住民の強引な追い出しや古い教会の破壊を行って、当時西側諸国から強い非難を浴びました。大理石やマホガニーをふんだんに利用したこの宮殿は当時「共和国の館」と呼ばれ、共産政権のあらゆる機関を入居させる予定でした。地上12階、地下4階の建物で、地上部分の床面積(33万平方メートル)は米国防省(ペンタゴン) に次いで世界第2位の巨大建造物です。

 1989年の革命により一時建設途中で放置されましたが、現在は下院議院の他、最大7カ国の同時通訳設備を持つ会議場、コンサートホール、展示場、宴会場として利用されており、一部は一般公開されています。最近は宮殿内に現代美術館もオープンしました。宮殿正面から東に伸びる大通りは「統一大通り」と呼ばれ、この通りの両側のアパート群には共産党員や官僚が入居する予定でした。

 凱旋門 Arcul de Triumf

第一次世界大戦における戦勝を記念して建てられたもので、最初1918年に建築されたときは木造でした。その後ペトレ・アントネスクという建築家により1935年に現在の形になりました。南側の壁には、建設当時の王、フェルディナンド(1865年~1927年)とその妻、マリアの肖像が彫られています。

ルーマニア正教総本山 (Biserica Patriarhiei

ミトロポリエの丘の上にある教会で、1655年に領主ラドゥ・レオンによって建てられました。トゥルゴヴィシテからブカレストへの遷都に伴い、この教会はワラキアの本山となり、現在の総本山へと至っています。隣接する建物に本教会の総主教が住んでおり、坂の途中の鐘楼がアクセサリーとなっています。

旧王宮跡(Curtea Veche Domneasca)

ブカレストで現存する最古の旅館であるハヌル・ルイ・マヌクのはす向かいにあるレンガ造りの中世の王宮跡であり、いわばブカレストの発祥の地。16世紀よりこれについての記述があり、ドゥンボビッツァ川の北岸に建てられ、往時は、北はリプスカニ通り、東は1848年通り、西はセラリ通りに沿って城壁があり、ブルンコヴェアヌ王の頃は塔なども配した大理石造りの立派な建物であったといいます。現在はごくわずかな部分が復旧されているだけとなっています。なお、これに隣接して旧王宮教会(Biserica Curtea Veche)があります。これはブカレスト最古の教会で、16世紀に建てられ、本来王侯達の礼拝所でした。

ヘラストラウ公園(Parcul Herastrau)

市の北側ヘラストラウ湖のまわりにある市内最大規模の公園。緑豊かな187ヘクタールの敷地内には農村博物館や、各スポーツ施設、レストランやカフェがあり、夏場には湖上遊覧船も運航されています。平成11年5月には凱旋門に近い一角に日本庭園が開園され、日ル文化交流協会より寄贈された200本のサクラの苗木が植えられています。

□ キセレフ通り(Sos Kiseleff

市内北部をまっすぐにのび、凱旋門を通る大通り。この通り沿いの住宅街の一部は共産政権時には、党の幹部のみに使われていましたが、現在は各国大使館や大使公邸が建ち並ぶ美しい並木道になっています。

コトロチェニ博物館(Cotroceni Museum

開館時間9:30-17:30  月曜休館 ガイドツアーのみ。予約をしたほうが確実。317-3107

コトロチェニ(大統領府)内にある博物館。1893年から1947年まで続いた王族の宮で、1891年から93年にかけて建設されました。

□ クレツレスク教会(Biserica Cretulescu

    革命広場の向かい側に立つ、1722年に建てられた教会。教会自体はかなり古いが、フレスコ画は綺麗に保存されている。1989年の革命でかなりの損傷を受けたため、現在でも一部修復中になっている。

 


名所案内(ブカレスト市外)


シナイア
(Sinaia)

ブカレスト北方約120kmの保養地(海抜800m)で、カルパチア山脈のフルニカ山(標高2102m)の中腹にあり、夏は避暑地、冬はスキー場として賑わいます。人口約15,600人、カロル一世の離宮であったペレシュ城や17世紀に建築されたルーマニア正教僧院の所在地として、王政当時はブカレストの貴族や富豪の保養地でした。「カルパチアの真珠」といわれるこの町ですが、シナイアの地名は同地の宗教関係者がエジプトのシナイ半島にある聖カテリーナ教会(ギリシャ教会)と交流を持っていたことに由来します。 

<ペレシュ城>

カロル一世が1875年から8年をかけてシナイアの山腹に夏の離宮として建築しました。外観はゴシックとドイツ・ルネッサンス様式で造られていますが、内部はイタリア・ルネッサンス、バロック、ロココなど、部屋ごとに様式が異なっているのは見事。多数の絵画(天井画を含む)、美術品、家具類、彫刻なども所蔵されています。騎士と馬の甲鎧や刀剣などの武器のコレクションも一見の価値があります。

現在修理維持のため2階部分は公開されていませんが、王と王妃の寝室内には4歳で死亡したマリオアラ王女を偲ぶ小さな教会があり、王女の写真、小さな祭壇、ミニ・オルガンなどが供えられています。(唯一の子であった王女が死亡したため、カロル一世は結局王位を甥のフェルディナンドに譲りました。)

100年以上前の建築であるにもかかわらず、城には当時の最新技術が取り入れられており、エレベーター、中央集中式真空掃除システム、映写室、セントラルヒーティングが設置され、吹き抜け中央ホールのガラス天井は電動開閉式となっています。

   ブラショフ(Brasov

ブカレスト北方約170kmのカルパチア山脈の山間部にあり、人口約32万人のルーマニア第7の都市で、ブラショフ県の県庁所在地。ブラショフのあるトランシルバニア地方は11世紀初頭ハンガリー領になり、ドイツ人の入植者により開発が進められました(第一次大戦の結果ルーマニアに編入されました)。ブラショフは1253年よりドイツ移民の手により建設されたため、「クローンシュタット」というドイツ名も持っています。14世紀に自治都市として認められ、ワラキア、モルダヴィア、トランシルバニア地方の接点に位置することもあって、商工業活動の中心として発展してきました。旧市街には依然として中世の街並みがそのまま残されており、ドラキュラ伝説ゆかりのブラン城を観光する際の基地ともなっています。

 また、同市は東京都武蔵野市と友好親善関係にあり、同市に設立された日本武蔵野センターにより、さまざまな交流事業が展開されています。

 

  <黒の教会(Biserica Neagra)>

1395年から約80年をかけて建設されたトランシルバニア地方最大のゴシック様式の教会で高さは63m。1689年の火災により外壁が黒焦げとなったため「黒の教会」と呼ばれるようになりました。内部に4000本のパイプを持つ1839年製のヨーロッパ最大のパイプ・オルガンがあります。なお、教会の横にブラショフ出身のドイツ人人文主義者ヨハネス・ホルンテス(1498-1548)の像があります。

  <ルーマニア最古の学校>

14世紀に建設された聖ニコラエ教会の敷地内にある、ルーマニア語で教育が行われた最古の学校(教会は15世紀及び16世紀に増改築されました)。ドイツ人が開拓したブラショフでは18世紀前までにルーマニア人が市内に自由に居住することは認められなかったので、城壁の外側にあるルーマニア人居住区(スケイ地区)が作られましたが、同教会はそのスケイ地区にあります。学校には当時使用された木製の印刷機、書物などが展示されています。

   <ポイアナ・ブラショフ(Poiana Brasov)

ブラショフ西方約13kmのカルパチアの山中(海抜1030m)にある有名な保養地です。豊かな森林と山々に囲まれ、ケーブル・カーやゴンドラ・リフトの他、スキー、スケート、テニス、プール、バスケットボール、ミニゴルフ、乗馬等のスポーツ施設、ホテル、レストランもよく整備されています。

<ブラン城(Castel Bran)>

     ブラショフの南西約28kmのブラン村にあり、岩場の上に立つ中世の城で、ワラキア地方(ルーマニアの南部)とトランシルバニア地方(同北西部)を結ぶ交易ルートを監視するために1382年にブラショフの商人達が建設しました。当初は砦のようなものでしたが、1377年にこれら商人により改修・拡張されて1395年にワラキア領主ミルチェア公(ドラキュラ伝説のモデルとされるヴラド・ツェペシュ公の祖父。ツェペシュはルーマニア語で串の意)に譲られ、その後1425年まで息子のブラド・ドラクル公に引き継がれました。

  1920年からはルーマニア王家の夏の離宮として、1947年まで使われました。そのため、城のなかには当時王家が西ヨーロッパから買い付けた家具が展示されています。

比較的質素な造りの城で、中世の武器、鎧、家具等が保管されていますが、ドラキュラ伝説を彷彿とさせるような陰湿な雰囲気は特にありません。また、この城は観光的には「ドラキュラの城」として売り出していますが、ツェペシュ公自身はブカレスト北西50kmのトゥルゴビシテ(ツェペシュが領主であった当時のワラキア公国の首都で、現在は宮殿の廃墟が残っている)を居住としていたので、ブラン城へはせいぜい地方討伐の際に立ち寄った程度と言われています。

  (参考)ドラキュラ伝説の由来について

「ドラク」はルーマニア語で「竜」を意味し、また「悪魔」をも意味します。1431年、時の神聖ローマ皇帝ジギスムンドは、ワラキアのヴラド公に「竜(ドラク)」の位を授け、トルコと戦う「竜」の騎士団が誕生しました。

そのヴラド公の息子は1431年にトランシルバニア地方の街、シギショアラで産まれ、「ドラクル」(「ドラクの子」という意味)と呼ばれました。ドラクルは1448年、1456年~

1462年そして1476年にワラキア公国を統治し、2万人のオスマン-トルコ軍や敵対する貴族などを串に刺して地面に立て、トルコ軍や近隣の人々を震え上がらせました。その方法は非常に残虐で、木製の串を敵の背中に刺し、死に至るまで少なくとも48時間は苦しめさせたと言われています。以来、彼は「ツェペシュ」(「串刺し公」という意味)の異名を持つに至りました。

 このエピソードはたちまちヨーロッパに広まり、特にドイツでは誇張して伝えられました。1897年、アイルランドの作家ブラム・ストーカーがツェペシュ公にヒントを得て(ドイツでの誇張された伝説によったと言われる)小説を著しましたが、最初の小説では舞台がオーストリアに設定されていました。その後、小説のタイトルが「ドラキュラ」に変更され、舞台もトランシルバニアに変えられて、現在の怪奇小説「ドラキュラ」の形になりました。その作品はその後繰り返し映画化されたこともあって、ツェペシュ公は吸血鬼ドラキュラとして広く世界に知られるに至りました。しかしながら、この小説がルーマニア語に翻訳されたのは、1990年になってからでした。

   

 

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