在ルーマニア日本国大使館
Embassy of Japan in Romania
 

  私は今度でルーマニアは4度目の在勤です。最初は1965年、チャウシェスクが第一書記に選ばれた年の9月に来ました。生まれてはじめての外国で、バネアサ空港からドクトル・ミノビッチ博物館の前、鉄道の貴賓駅の前の噴水の横の石畳道を、おそろしい轟音をたてて、スクンテイア広場から凱旋門をくぐったことを覚えています。二度目は、70年代で、洪水と地震に見舞われました。日本は地震国で有名ですが、7以上の大きな地震を経験したのは私はブカレストが初めてです。恐れおののく妻や子供たちがどうなったかを見届ける暇もなく、在ブカレストの日本人の犠牲者がいなかったかどうかを探しに、一方通行を無視してくるまでブカレスト中を走り回ったことを覚えています。3度目では89年12月の革命にあいました。革命は私にとってもエウフォリエを届けてくれました。それから何年かルーマニアの民主主義の産みの苦しみを見届けてから日本に帰り、今度13年ぶりに「祖国」に帰ってきました。

 今度帰ってきて大変うれしいことは、ルーマニアがEUに加盟する見通しがあることです。ルーマニアは中世以来西欧との交流を希求しながら生きてきました。それが今回実現するのです。この歴史的な瞬間の目撃者になれることを心のそこからよろこんでいます。冷戦が終わって明らかになったことは地球が小さくなったことです。ルーマニアがEUに入ってもこれまで以上に日本との友好関係が昂進することが望まれます。

 日本とのルーマニアの関係を顧みるに、経済的には私どもは1974年にアレキサンドリア市にボールベアリング生産工場を建設し、さらに革命後はより密接に協力してきました。そのほかでも、特に冷戦後は、有償資金(ローン)や草の根無償資金協力、さらに技術協力を通じて多くの分野で協力してきました。文化面でも1991年以来は毎年文化無償資金協力を実施して、アテネウル音楽堂のビデオ撮影装置、エネスク交響楽団や国立音楽大学への楽器寄付などこれまで総額で4百万ユーロ以上の寄付行為をおこない、ルーマニア市民への文化的貢献を行っています。こうした文化協力は今後も続けます。天満敦子さんという日本でも有名なバイオリニストがいます。彼女は1992年以来のルーマニアの友人で、チプリアン・ポルンベスクのバラードを彼女の絶品のストラディ・バリウスで日本全国に紹介して、ルーマニアの評判を高めました。

 今でも忘れられないことは天皇陛下が1979年当時皇太子のときに、昭和天皇の御名代としてルーマニアに公式訪問され、ブカレストの市場はじめ、ポルンベスクのふるさとのモルドバのスチェアバの修道院を訪ねられたことです。このように、私どもとルーマニアは深くつながっています。私自身も微力ながらこれからもこのようなつながりをもっともっと深めたく考えています。  

駐ルーマニア日本国特命全権大使

        津嶋 冠治

 

 

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