津嶋大使のビストリッツァ・ピアノ寄贈コンサートへの出席
私は3月25日、邦人の管弦楽団指揮者が実現したピアノ寄贈コンサートに招待され、トランシルバニアの都市ビストリツァを訪れ、ヤマハのピアノ寄贈と小出雄聖さんの指揮のコンサートに参加しました。なかなか面白い話題がありましたので以下にご紹介します。
ビストリツァ市にはオーケストラはありませんが、音楽高校は存在します。同校や12年前に発足したビストリツァ文化財団(NGO)の努力とビストリツァユダヤ人協会の好意で、ほとんど使われていなかったユダヤ人の教会、シナゴグが同財団の文化行事に提供され、コンサートホールとなりました。そのための改修にはEU、ブリティッシュ・カウンシル、米大使館などが援助したようです。ルーマニアではトゥルグムレシュで同市のオーケストラを比較的頻繁に指揮していた邦人の小出雄聖氏は、時々トゥルグムレシュやクルージュの楽団員の寄せ集めの楽団を形成して、ビストリツァでもコンサートをしたことがありました。シナゴグでのコンサート開催をお願いされていたのですが、シナゴグにピアノがないことから、2年前本邦で「ビストリツァにピアノを贈る会」を結成して資金集めを行いました。日本人の浄財が集まったところでヤマハのグランドピアノを購入して船便でルーマニアに送り、つい最近コンスタンツァ港に到着、次いでビストリツァにも無事到着して、3月25日に寄贈式コンサートとなりました。またこのピアノ寄贈の話を聞いて支援を約束した在日本の「日本・ルーマニア交流協会」の森理事長夫妻ほか計5人の邦人も今回わざわざビストリツァに来訪して、彼らもビストリツァ音楽高校に、中古ながら卓上ピアノを寄贈しました。私は当日のコンサートにはマリネスク県議会議長、モルドバン市長さらにツァルムレ同財団会長などから招待され出席したものです。コンサートに先立つ贈与式の挨拶において、「由緒のあるユダヤ人教会において、クルージュやブラショフやトゥルグムレシュやサツーマーレなどのトランシルバニアの楽団員で構成されるオーケストラが小出さんという日本人指揮者により音楽がかなでられ、しかも小出さん肝いりでヤマハ・ピアノが日本人の浄財で寄贈され、それがルーマニアでは聞こえたピアニスト、ミハイ・ウングレアーヌさんによって、ベートーベンのピアノ協奏曲5番「皇帝」で処女演奏が行われ、しかも森理事長ほかの日本・ルーマニア協会からも卓上ピアノを音楽高校に寄贈するとともに、今日のこの日にわざわざビストリツァまで来ていただいた。こんなすばらしい機会に呼んでいただき日本大使として幸せです。日本人はお呼ばれして手ぶらでいくことを恥じ入りますので大使館としても微力ながらもここにピアノの椅子を寄付させてもらいました。」と述べると満員の会場からは絶大なる拍手が起きました。コンサートの出し物はヘンデルの「水上の音楽」、ドビッシーのピアノ連弾が入った「器楽組曲」、そして「皇帝」でした。

ビストリツァにいくつかの話題があります。今回招待されてブカレストから来られたアウレル・ヴァイネル在ルーマニアユダヤ人共同体連合会長は、ルーマニアの有力人物で上院議員でもあります。彼は挨拶の中で、「ビストリツァには戦前10500人のユダヤ人がいたが、そのうち7000人がアウシュビッツに送られて、死んだ。残りはいろんな形で逃げたが、今ビストリツァに残っているのは20から50人くらいで、このシナゴグもいい形で利用されていない。ユダヤ人は文化を愛する。だから、今日のような形で利用されることは歴史的に記念すべきことで非常にうれしい」と述べていました。ビストリツァのような小さな町にも悲しい記憶があるようです。
また、ルーマニアの文豪リヴィウ・レブレアーヌはビストリツァの東20kmのナサウド市で生まれで、同市にある生家は記念館になっています。彼は土地にしがみつく農民を描いた小説「イオン」、第一次世界大戦でのルーマニア人同士の骨肉相食む悲しい状況を扱った「絞首刑の森」など多数著し、30数カ国の言語に訳されています。日本語にも住谷春也氏が訳出し、住谷氏はビストリツァの名誉市民になっています。レブレアーヌの弟エミルは第一次大戦に従軍して絞首刑で処刑されました。彼はルーマニア人でしたので自分の民族と殺し合いをすることに耐えられず脱走しましたが、つかまり処刑されたのです。当時、エミルが生まれたビストリツァはトランシルバニア地方に属し、オーストリア・ハンガリー帝国領でした。カルパチア山脈の南のルーマニア人はフランスと同盟して、敵国でした。小説「絞首刑の森」ではエミルはボローガの名前で出てきます。
さらに、英国の作家、ブラム・ストーカーの有名な小説「ドラキュラ伯爵」は「ここビストリツァ5月3日・・・」で始まります。ただ、ビストリツァにドラキュラ伯爵の館があったとする作者の仕立ては単なる想像で事実ではありません。真実のドラキュラは南のワラキア公国の王様で、トランシルバニアに館を構えるはずはありません。
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