在ルーマニア日本国大使館
Embassy of Japan in Romania

シビウ国際演劇祭評論誌「喝采」掲載の歌舞伎シビウ公演批評(抄訳)

 

(1)「夏祭浪花鑑について」(署名:Vladimir Barbu)

 事前に歌舞伎というものについて少々学んでおくべきだったが、実はほとんど何も知らないまま今回の公演を観た。伝統と革新が調和しているといわれるこの芸能を、とにかく早くこの目で観たいという強い欲求は、私の周囲の客達も同じように見えた。

 バラエティー、エキセントリック、そして非凡さ・・・、シビウ市内バランツァ工場の特設会場で行われた昨夜の公演を形容するとすればこれらの言葉が浮かんでくる。その会場で、優れた舞台芸術というものが時代と場所に関係なく表現できることが証明された。歌舞伎は過去のものだ・・・、このようなことは誰も言わないであろう。それどころか、全く逆だ。この平成中村座の公演を観れば、Kabukiという日本の伝統芸能が明らかに時代の移り変わりとともに成長していること、そして同時に、それは、この芸術に身を捧げた人々の努力によって可能となっていることが良く理解できる。この公演では、シビウを訪れた全ての関係者が完璧な準備をし、そしてその基盤の上で、この上ない才能が発揮されている。

 歌舞伎役者は幼少からその技術を学ぶが、同時に常に新たな何かを学び、感じ取りながら、芸を向上させている。また、役者達の優れた演技とともに、衣装、音楽、舞台設備等あらゆる面で細心の気配りがほどこされていることも忘れてはならない。

 この公演は、舞台芸能というものについて私に新たな世界を与えてくれた。今回の関係者が演じる、日本の古い歴史の中で受け継がれてきた歌舞伎というものは、その演技、衣装及び音楽などを通じ、これまで我々が知ることのなかった、感じたことのなかったものを与えてくれる、圧巻の芸術作品である(シビウ国際演劇祭評論誌「喝采」、5月31日付1面)。

 

(2)「夏祭浪花鑑について」(署名:Vlad Dumitrescu)

 アジア文化を観てみたいとの好奇心からバランツァ工場に集まったシビウ市民のお目当ては、日本の伝統演劇、平成中村座の歌舞伎生公演である。中村勘三郎は歌舞伎が人気であった16世紀当時の生き様、習慣、音楽の要素を統合している。

 2004年のニューヨーク・タイムズ紙で言われたところのアドレナリンが放出される演劇は、ヨーロッパの聴衆が知らない身振りや態度で観る者を驚かせつつ、日本の風土を再現することに成功した。舞台上の部屋の細部にはそれぞれ意味が込められていたのだろうが、わからないものもあったが、それにしても素晴らしく洗練された舞台は映像として面白く、挑戦的であった。木の片、石、紙製提灯、布製壁といった細部の装飾は120分の公演の中で劇的な主題の革新をもり立てている。

 厳格で色彩豊かな衣装と対照的に、明白なコントラストの顔塗料(白-黒、赤-緑)に奇抜な髪型は、観客の目に唯一明確に見える歌舞伎の形である。

 忠誠心も何もかも全て捨てた女形役の中村勘九郎(ママ)は、演出された人工的な雰囲気の中で女性的な動きとともに、これまでこうした役では聞いたことのないような変わった声色で、女性を演じた。

 歌舞伎の舞台には花道が用意されており、俳優の出入りに使われるほか、観客とのコミュニケーションとしても使用されており、成功していた。連日、花道が使われるごとに、観客から心からの喝采がわき上がり、これは俳優たちへの紛れもない賞賛の現れであった。

 三味線、太鼓、木製フルート(ママ)の演奏が歌舞伎公演の音響を支えていた。

 舞台上部には重要登場人物の絵が並べられ、会場を特別な雰囲気にしていた。 薄暗い提灯、義父を殺害し刀に付いた血を水で洗うための井戸や、日本を意味する碑文等は、舞台装置界に独創性のプラスアルファをもたらしたと言えよう(シビウ国際演劇祭評論誌「喝采」、6月1日付4面)。

 

 

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